哲学は非実用的か

お正月休みは『子どものための哲学対話』(永井均著・講談社文庫)を読んでいました。「人間は何のために生きているのか?」「友だちは必要か?」といった疑問について中学二年生の少年と猫が対話する本で、文庫版は2009年発売ながらAmazon「哲学」カテゴリの売れ筋ランキングで今も上位に入っているロングセラーです。

 

哲学というと、非実用的なもののように言われます。たしかに、たったいま心臓発作で苦しむ人の体をどうにか治そうとなると医学の方が実用的でしょうし、たったいま外国でトイレを探している人にとっては語学の方が実用的でしょう。哲学は、そうした即効対処的な学問ではありません。

 

「哲学は学べない。学べるのは哲学することだけである」というのはドイツの哲学者、イマヌエル・カントの言葉です。つまり答えを教えてもらう学問ではなく、自分で考える学問だということで、そこが宗教と大きく違うところです。

 

最近、新宗教の信者数は減少傾向ですが、インターネットでは神的人気のインフルエンサーたちが人生に悩む人に「簡単な答え」を与えてお金を徴収する「信者ビジネス」が流行しており、カルト宗教的なものは社会からなくなっていません。

 

生きることは大変です。選ぶことは怖いです。あらゆることが自動化によって便利になり、人生は延び、性別等による既成の役割からも解放されつつある今、「どう生きるか」に人々が悩むのは当然だと思います。簡単な答えなんて決して存在しないけれど、自分の哲学があれば、安直な神話を信じなくても生きていける、そういう意味では今こそ哲学が実用として救いになると思います。

 

最近の大学では、哲学や文学などの学部を再編・縮小するのが時流になっているようですが、私としては、むしろそれらの学問こそ現代的で実用的であり、拡充されていいのではないかと考えるところです。