生活うばう美談の影

 天の神様は、毎日化粧もせず機織りに励む娘を不憫に思い、勤勉な牛飼いの青年と結婚させました。しかし、二人は結婚すると、仲が良すぎるあまり働かなくなってしまいます。これに怒った神様は二人を引き離しますが、娘は悲しみに暮れるばかりで働かない。そこで一年に一度だけ会うことを許すと、二人はその日を励みに一生懸命働くようになりました。7月7日はその貴重なデートの日。一般的な七夕の伝説です。


 確かに二人が働かないと洋服が不足し、牛が痩せてしまいます。でも、だからといって、勝手にさせた結婚を引き裂くなんて、神様も自分勝手ですね。結婚は誰かに強制されるものではないし、住む場所も職業も自由であるはずです。


 「一年に一度会えるなんてロマンティック」と抽象的な言葉で所業を美談に仕立て、「一生懸命働けば良いことがある」と教訓を忍ばせる。伝説の中だけなら良いのですが、現世にもはびこっているように思います。例えば「深夜残業続きだったけど君の成長を信じていたから」などと語る上司は、成長という抽象的な言葉で深夜残業を美談に仕立て、さらに働かせようとしていますね。

 生活は知らぬ間に美談に奪われることがあるのです。


 元来、七夕は織姫にちなみ裁縫の上達を願う行事でしたが、今では自分の率直な願いを短冊に託す行事として浸透しています。商店街やスーパーなどで短冊を眺めると、多くは「健康で暮らせますように」「給料が上がりますように」といった願いごと。そうした生きるのに不可欠な願いが伝説や美談の中で終わることなく、現世で叶うよう願います。